惑星規模のコンピュテーション(Planetary Computation)を哲学的・技術的・地政学的な力として再定位することを目指したシンクタンク「Antikythera」とデサイロは、2025年10月に国際シンポジウム「Antikythera Tokyo」を開催しました。同シンクタンクの主宰であり、世界的に高い評価を受ける技術哲学/スペキュラティブ・デザインの研究者であるベンジャミン・ブラットン氏は、Antikytheraのウェブサイトにて、いま技術と哲学を思考する重要性を次のように語ります。
「人類の思索的な想像力が技術的な能力をはるかに凌駕する歴史的瞬間が存在する。そうした時代はユートピアに溢れている。しかし一方で、「我々の」技術の可能性と影響力が、それを記述する概念はおろか、導く概念さえも凌駕する時代もある。現代は後者に近い。今この瞬間、技術——特に惑星規模のコンピュテーション(Planetary-scale Computation)——は我々の理論を凌駕している。私たちは文明規模の計算過剰のようなものに直面している。人間の行為能力が人間の知恵を超えているのだ。哲学にとって、いまは発明の時であるべきだろう」
同シンポジウムでは、「Artificialization 知能、生命、惑星の人工化」をテーマとして掲げました。人工知能やロボット工学、人工生命の進展は、いまや「デザインされた生物的なるもの」の正体を探る研究へとつながり、現代で最も注目すべきテーマの一つとなりつつあります。こうした分野が互いに混ざり合い、対話を重ねることによって、「人工とは何か?」という根源的な問いが、私たちの前に立ち現れています。
自然を切り開き、惑星規模の都市やエネルギー、情報技術を築き上げてきた人類にとって、あらためて「自然と人工のあいだ」について問い直すことは、ひいては「デザイン」という営みそのものの存在論的な意味を再考する契機ともなるでしょう。
Antikythera Tokyoでは、「人工」という概念を多角的に検討しました。この言葉が、ときに虚構や欺瞞を含意し、また単に人為的なものを指すにすぎない一方で、私たちはいかにして、この混濁した技術的カオスのなかから新たな地平を見通せるのでしょうか。
ブラットン氏は、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースを参照し、西洋に根づく「自然」と「文化」の二分法を批判的に捉え直します。
レヴィ=ストロースが「生のもの」と「火を通したもの」とを対比させたように、多くの文化は「そのままのもの」と「人の手で加工されたもの」とを区別してきました。けれども、「自然」と「文化」という二つの領域をはっきり分ける考え方は、決して普遍的ではありません。
情報理論では、信号の中に見慣れない規則性が現れたとき、それを「誰かが設計した痕跡」として読み取ります。また進化理論では、生き物が自分の生存に有利なように環境を作り変える「ニッチ構築」が、特別な種だけの振る舞いではなく、ほとんどすべての生物に見られる基本的な戦略だと考えられています。
そう考えると、「人工化」という営みは、すでに生命そのものの根本に深く組み込まれているのかもしれません。
では、日本ではどうでしょうか。AIであれ、ロボットであれ、人工的に創り出された生命的な存在であれ、それらをあえて峻別することなく受けとめてきた文化的感性があるとするならば、そこには世界的に重要な示唆が秘められているはずです。
この「人工化による新たな混ざり合い」を、どのように思索し、どのように実装していくのかがいま問われているのです。